2018.4.10更新

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満州事変 大秋馬産開拓団 への参画

手記 「苦難に耐えて」 発刊にあたり


私は、北海道羽幌町出身で、現在は宮城県に在住しております、長谷田眞一と申します。

少年期に伯父と兄に連れられ、満州に渡りました。現地ではその伯父、兄を病気で亡くし、私は、終戦後は、たくさんの引き揚げ者のうちの一人となりましたが、無事日本に帰り着くことができました。

たくさんの戦争の苦難を後世に伝えることを私の1つの役目とも考え、六十余年経った今日、当時の手記を1冊の本にし出版を致しました。

同様の苦労を乗り切り、引き揚げていらっしゃった同志の方と想いを共に語ることが出来ればと思い、この度、本Webページを開設致しました。

近隣の方など、同時期に渡満をされた方々へ、お声を掛けて頂ければありがたいですし、Eメールでお話させて頂ければ嬉しく思います。

                                                                       宮城県 多賀城市 高崎3丁目 在住 

                                                                                                          長谷田眞一


苦難に耐えて
2009年8月発刊
PDF版ダウンロード

羽幌タイムスにも紹介されました。
2009年11月20日記事
(画像をクリックすると拡大します)


2009年8月26日、著者から多賀城市長へ本を謹呈しました。
この様子は多賀城市広報の広報誌「広報多賀城10月号」
に掲載されました。
(写真をクリックすると多賀城広報が閲覧できます。)



「苦難に耐えて」がダウンロードできます。是非たくさんの方にお読み頂ければ幸いです。


ダウンロード(PDF版)はこちら




私の満州への渡航目的と渡航経路、そして、時期は、以下の通りです。

                               記

渡航目的:軍馬を育成する、大秋馬産開拓団という開拓団の一員として参画。

昭和20年
 4月  第二期大秋馬産開拓団本隊として、米澤源作、長谷田忠夫、眞一 羽幌出発
 4月  開拓団の一員として眞一、白山丸にて新潟港を出航。北朝鮮を目指す
 4月  北朝鮮、清津(チョンジン)港着。鉄道にて満州を目指す
 4月  満州国三江省湯原県向陽村へ到着
 4月  別船便にて伯父、兄が牛馬と共に到着
 8月9日  ソ連軍が北満へ侵攻開始
 8月11日  ソ連軍侵攻から免れるため、向陽村から南部へ避難開始
 8月12日  綏化(スイカ)市日本軍飛行場へ避難
 8月15日  日本終戦
 8月22日頃  綏化市を発ち長春へ移動開始
 8月23日頃  長春着。満鉄の大和寮にて生活を始める
 12月16日  伯父 米澤源作 死去(享年49歳)
昭和21年
 4月5日   兄 長谷田忠夫 死去(享年21歳)
 7月   引揚開始、長春駅から南下、コロ島を目指す
 7月   コロ島着
 7月   コロ島から名優丸にて日本を目指す
 8月   佐世保港へ帰港(船中泊一ヶ月)
 8月   国鉄佐世保駅から列車にて東京方面へ移動開始
 8月   東京、仙台、青森経由で札幌着、開拓団解散
 8月   羽幌着


渡航経路


<満州全土地図>


 
著者紹介
 
長谷田眞一(はせだしんいち)

昭和6年(1931年)北海道苫前郡羽幌町に父幸次郎 母キヨの三男として出生

昭和204月   満州国三江省湯原県向陽村大秋馬産開拓団に参加

昭和218月   コロ島より引揚

昭和353月   東北学院大学 卒業、銀行勤務を経て、現在



本ページに関するEメール連絡先

「苦難に耐えて」 発行人 東京都世田谷区三軒茶屋 長谷田克彦  

Eメール:peewee@k6.dion.ne.jp

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